【解説】印象派とは?自然光を鮮やかに捉えた19世紀後半の画家たち

ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

こんにちは、もちです。

 

西洋絵画を展示している美術館に行くと、「印象派」の画家たちが描いた絵に出会うことがありますよね。

印象派とは、19世紀後半に、フランスのパリを中心にはじまった新しい芸術運動です。

(日本で言うと、長く続いた江戸時代が終わり、明治時代へと移り変わる時期ですね。)

 

明るい色あいで描かれた風景画や、生き生きとした人物画など、西洋の絵画でありながら私たち日本人にとっても親しみやすい絵が多いと思います。

モネ、ルノワールなど、美術にあまり詳しくない人でも、名前を知っている画家が多いのではないでしょうか。

 

今回は、そんな印象派についてまとめました。

印象派の絵の特徴、それまでの絵画との違い、主な画家について解説します。

印象派の絵の特徴

印象派の絵として特に有名なのは、クロード・モネ《睡蓮》かと思います。

青い水面に浮かぶ睡蓮の葉が美しい作品です。

モネ《睡蓮》

モネ《睡蓮》(1916年)

(出典:Wikimedia Commons)

西洋美術というと、宗教画のイメージが強くあるかもしれませんが、印象派の画家たちはそれとは異なります。

印象派の絵の特徴
  • 絵の題材は身近なもの
  • 筆跡の残る躍動感ある描き方
  • 戸外で自然の光を観察しながら描写
  • 絵具を混ぜず明るく濁りない色合い

描かれる題材は風景、人物、静物など身近なものが多いです。

上の《睡蓮》を見てもわかる通り、印象派の絵は大胆な筆跡を残す、躍動感のある描き方が特徴です。

隅々まできっちり描ききることよりも、人が美しい光景を見たときの印象をそのまま絵にすることを重視したとき、このような描き方にたどり着いたのですね。

 

戸外に出て自然を観察することで、移ろいゆく日の光や季節感を絵で表現しようとしたというのも特徴的です。

 

また、絵具をできるかぎり混ぜ合わせず、黒い絵具を使わずに描かれた作品が多いです。

原色やそれに近い絵具を使うことにによって、明るく濁りのない美しい作品となっています。

印象派という名前の由来

クロード・モネ《印象、日の出》

モネ《印象・日の出》(1872年)

(出典:Wikimedia Commons)

クロード・モネの作品の一つである《印象・日の出》から、その名がつけられました。

この絵はモネが幼少期を過ごしたル・アーブルの港を描いた作品です。

霧の中に、朝日と船のマストが描かれています。

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《印象、日の出》の太陽はオレンジ色で描かれており、「夕日では?」と思う人もいるかもしれません。

しかし、モネが当時滞在していたホテルの位置、描かれた水門や太陽の位置から、夕日ではなく朝日だと考えられるそうです。

この絵は、モネと友人らが主催したグループ展に出展されました。

筆跡が荒く残る彼らの絵は、当時としては斬新なものでした。

これを見た批評家のルイ・ルロワが皮肉混じりに「印象派」と呼んだことをきっかけに、その呼び名が定着しました。

それまでの絵画との違い

当時、フランスでは王立絵画彫刻アカデミーが主催する「サロン」と呼ばれる美術展が画家の登竜門でした。

サロンでは、古代ローマの美術のように歴史・神話・聖書の題材を描く「歴史画」が最も権威のある絵として高く評価されていました。

反対に、風景画や静物画は軽んじられていました。

 

19世紀後半、これまでの歴史画とは異なる題材・異なるタッチで描く、印象派の画家たちが登場します。

彼らは、彼ら自身が生きた時代のできごと、人々の生活をありのままに描くことを追求しました。

ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(1876年)

(出典:Wikimedia Commons)

残念ながら、印象派の画家たちの絵は当時のサロンに評価されず、落選となる画家が相継ぎました。

筆跡の残らない精密な絵が主流だったため、印象派の絵は「描きかけ」「雑な絵」と捉えられてしまったんですね。

印象派を代表する画家たち

サロンに認められなかった印象派の画家たちは、モネを中心としてグループ展を開催しました。

その第1回が、先ほど紹介したモネの《印象・日の出》が出展された展覧会です。

 

この展覧会は1874年〜1886年までに、合計8回開催されました。

ここに出展した画家たちを、主に印象派と呼びます。

 

ここでは私が特に好きな画家4名を紹介します。独断と偏見で選びました。悪しからず!

モネ

クロード・モネ(840年11月14日 – 1926年12月5日)

モネ《ルーアン大聖堂、ファサード(日没)》

モネ《ルーアン大聖堂、ファサード(日没)》(1892 – 94年)

(出典:Wikimedia Commons)

自然の光を戸外観察する印象派らしく、モネは同じテーマを季節・時間を変えて何枚も描く「連作」を多く残しています。

《ルーアン大聖堂》シリーズもそのうちの一つで、他に《積みわら》シリーズ、《ポプラ並木》シリーズなどがあります。

空や水は青、葉は緑、といったような固定観念にとらわれず、その目で観察した色・印象を描き出していることが、連作を通してよくわかります。

自然を緻密に観察する手法、黒い絵具や混植を避けた描き方は、のちの印象派の画家たちに受け継がれていきます。

ルノワール

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年2月25日 – 1919年12月3日)

ルノワール《舟遊びをする人々の昼食》

ルノワール《舟遊びをする人々の昼食》(1876年)

(出典:Wikimedia Commons)

ルノワールは、画塾でモネらと知り合い、戸外制作をはじめた画家の一人です。

風景画の多いモネと対照的に、ルノワールは人物を多く描いています。

 

《舟遊びをする人々の昼食》は、当時パリで流行していた船遊びの様子を描いた作品で、彼と交友のあった人物たちがモデルになっています。

人びとの明るい表情、今にも動き出しそうなポーズ、柔らかな光の描写が魅力的ですね。

ドガ

エドガー・ドガ(1834年7月19日 – 1917年9月27日)

ドガ《ダンス教室(バレエ教室)》

ドガ《ダンス教室(バレエ教室)》(1873-75年)

(出典:Wikimedia Commons)

ドガは印象派展にたびたび出展していますが、戸外制作を重視したモネらとは異なり、多くのデッサンを行う古典的な技法で描きました。

ドガの作品にはバレエの様子がたびたび描かれます。

銀行家の息子で裕福な家庭だったこともあり、バレエは彼にとって慣れ親しんだ主題だったのでしょう。

舞台を見に行く観客としての視点ではなく、舞台裏から見た景色を描いているのも特徴的です。

モリゾ

ベルト・モリゾ(1841年1月14日 – 1895年3月2日)

モリゾ《ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘》

モリゾ《ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘》(1881年)

(出典:Wikimedia Commons)

モリゾは数少ない印象派・女性画家の一人です。

《ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘》は、彼女の夫と娘を描いた作品です。

淡いピンクの花が咲く庭で仲睦まじく過ごす様子を、モリゾの視点で優しく見守っているようですね。

 

彼の夫は、同じく印象派の画家として知られるマネ(モネではない!)の弟です。

女性でありながら画家として活躍できたのは、彼女の実力はもちろんのこと、家族の理解と支えがあったからかもしれません。

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ちなみに、アーティゾン美術館では、2020年6月23日から10月25日まで『印象派の女性画家たち』展が開催されています!

モリゾの絵も出展されるので、興味がある方はぜひ!

まとめ

印象派の絵は、今でこそ多くの人に親しまれていますが、当時はサロンに認められなかったり酷評されたりと、順風満帆ではなかったようです。

しかし、印象派の画家たちの観察力、身近なものへの愛溢れる視点、濁りのない色使いは、後期印象派と呼ばれるゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどに受け継がれていきます。

 

また、今回紹介した印象派の先駆者とも言える「バルビゾン派」の画家たちの絵も、素敵な作品が多く、個人的にとても興味を持っています。

こちらもいつかご紹介できれば!